仮面病棟

 

ーー仮面病棟

ミステリーサスペンス映画!

 

2020年3月6日に公開された映画「仮面病棟」を今更ながらネトフリで見ました。

主演は坂口健太郎さんと永野芽郁さん。

小説家・知念実希人さんが書いたものをリメイクした作品となっています。

ちなみに脚本には知念実希人さんが直接絡んでおり、内容も一部変更されています。

 

シリアス色が強く、夜中に見るのはお勧めできません。

一部心臓に悪いシーンも含まれています。

 

深夜の病院内で繰り広げられる監禁劇…という説明が1番しっくりくるでしょうか。

犯人と思わしき覆面のピエロが病院の患者や看護師らを人質に取り、その中で様々な登場人物が手を変え品を変え、ピエロ以外の真犯人を突き止める。

 

真犯人は誰だ?というのをテーマに視聴者に否応なく推理を働かせてくるのが本作の特徴です。

それもそのはず、真犯人はまさかの人物だということが本作の最後で明らかになるからです。

 

ーー仮面病棟・あらすじ

 

療養型病院である「田所病院」が主なストーリーの中心。

 

田所病院では多くの認知症患者を抱え、リハビリを行っていました。

 

主人公の速水秀悟(演者・坂口健太郎)は先輩である小堺司(演者・大谷亮平)の斡旋で田所病院に当直勤務でアルバイトをすることになります。

 

ある日、速水は外科医として働き、1日の務めを終えて家に戻りました。

そのとき看護師の東野良子(演者・江口のりこ)から電話が入り、急いで病院の1階にくるよう言われました。

 

速水が駆けつけると病院の近くのコンビニで強盗致傷事件が起きており、1人の女性が苦しそうにうずくまっていました。

 

この女性の名前は川崎瞳(演者・永野芽郁)。

覆面を被ったピエロがコンビニを襲撃し、外に居合わせた川崎に1回銃を発砲したのです。

 

速水は看護師の東野や佐々木香(演者・内田理央)らと合流し、病院の1階に避難しました。

 

しかし背後から迫る足音が聞こえ、3人がパッと振り返るとそこには覆面のピエロが銃を構えていました。

 

ピエロは「女(川崎)の治療をしろ。」と3人に命令し、川崎を治療室まで運ぶことになりました。

川崎は傷口を塞ぐために縫合手術を受け、なんとか一命を取り留めました。

 

その後、田所病院の院長である田所三郎(演者・高嶋政伸)が部屋に到着しましたが、ピエロは院長に身代金の用意をさせるとともに全員を2階〜4階に監禁しました。

 

ピエロは1階で4人が逃げないように見張り、消防署や警察署につながる通信やサーバー等をダウンさせ、回線を一切断絶しました。

警察にチクリを入れたら殺すと4人に脅迫し、1階に立てこもりました。

 

💡ここまでは4人の人質がピエロに監禁拘束されるという運びですが、この後徐々に院長や川崎などのキャラが不自然な行動を取ったり意味深な発言をしたりと、きな臭い状況に一変します。

誰が真犯人か?という推理モノに近づいてくるのです。

 

4人は2階で待機し、速水は警察に通報を入れるべきだと院長に促しますが、なぜか院長は警察への通報をしぶります。

回線が破られているから…という理由ですが、そう単純な話ではないようです。

 

さらに看護師の1人東野が川崎に「あいつだけじゃない。」と耳元でつぶやいたり、院長が「余計なことはするなよ。」と速水に警告したりなど、徐々にこの病院自体を怪しむ速水の心情が描かれるようになります。

 

そして速水は院長に隠れて川崎とエレベーターで4階に向かい、院長室で物色を始めます。

さらに手術室に向かうと速水は5階へと続く隠しエレベーターを発見しました。

 

💡この5階へと続くエレベーターは見取り図には存在しません。

ここですでに勘づいた方もいるでしょうが、速水は「病院側が何かを隠している」と結論づけたのです。

 

5階に着き、手術室の扉を開けるとそこには素性不明の青年がベッドで眠っていました。

青年の手術跡と肝機能の回復を目の当たりにした速水は院長が「患者に非合法の臓器提供を行っている」と断定。

 

院長は、認知症を患い未来のない老人から臓器を移植するといった違法行為に手を染めていたのです。

院長はすぐに5階に駆けつけ、無断で立ち入りした速水を非難しましたが、そこにピエロが現れてしまいます。

 

一方、田所病院の周りには多数のパトカーと警察が包囲しており、ピエロに人質を解放するよう命令しました。

 

しかしピエロは速水に代役のオペレーターとして仕立て上げ、警察をうまく取りなし、院長に食事の差し入れを要求しました。

 

院長はその際、臓器移植の記録が描かれた資料を証拠隠滅のため全て破棄しようとしますが、待ち伏せたピエロと速水に見つかってしまいます。

 

しかし速水は乗り気ではありません。

身代金を受け取り、目的を果たしたはずのピエロがいつまでも院長に銃口を向けているからです。

 

院長は何がなんでも病院のポリシー(臓器移植)を貫こうとしますが、速水はその際、ピエロに対して「小堺司さん」と発言したため、事態は一変。

 

💡小堺司は1番最初に登場した速水の先輩にあたる人です。

速水はピエロの正体を見抜いている…

と思いきや実はそれも違うややこしい展開に!

 

院長はピエロが小堺司だと知った途端に攻めに転じ、銃を奪って病院の全てを守るために速水、ピエロ、佐々木、川崎を皆殺しにしようとします。

 

💡もはや自暴自棄の院長。

ちなみにここまで重大なネタバレになるので書かなかったのですが、看護師の1人・東野は川崎にナイフで殺害されています。。

(あまりに急展開すぎる。。)

 

そして病院内にレスキュー隊と警察が突入し、速水が放ったライターの火が病院のベッドに移り、火災報知器が作動。

その場にいた4人(佐々木・速水・ピエロ・院長)は生死不明となりました。

 

…が、速水は致命傷には至っておらず、すぐに救急車で運ばれました。

 

ちなみにそこには川崎の姿がなぜかなく、その後の警察による速水への取り調べでも川崎という女性の存在は誰1人として認知していませんでした。

 

速水は途方に暮れ、川崎の存在を疑い始めますが、病院内で割り振られていた通し番号「川崎13」を思い出し、急いで病院へと駆けつけました。

 

💡「川崎13」というのは名前がわからない患者に対して振られる通し番号のこと。

奇しくも川崎瞳の名前とピッタリ符合していたため、速水は川崎を疑い始めたのです。

 

病院に駆けつけると赤く血に染まった速水の先輩・小堺司の遺体がベッドに横たわっており、なんと川崎が殺害していました。

 

ここで衝撃の真実が明らかになります。。

 

↓↓

川崎にはたった1人の姉(演者・朝倉あき)がいました。

父親のDVから身を張ってくれたり、交通事故に遭いそうなとき、姉が真っ先に庇ったりと、とにかく妹想いの姉でした。

そんな姉の容態が急変した時、田所病院は他の患者に当てるために姉の臓器を摘出し、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。

それが妹・川崎の恨みを買い、今回のピエロ監禁劇の引き金となりました。

 

ちなみにピエロの正体は宮田勝仁(演者・笠松将)であり、川崎と結託して病院の不祥事(臓器移植)を暴こうとしていました。

そのための極秘マニュアルを入手しようと病院内を探し回っていたのです。

 

つまり元凶は院長ですが、この騒動の主犯は川崎と宮田の2人。

誰が犯人とも取られかねない状況に速水は置かれていたわけです。

全ては川崎とピエロによる巧妙な演技だったということですね。

 

病院が火災に見舞われ、他の院長やピエロ、看護師らは川崎に次々と撃たれ、死亡しています。

…が、川崎は速水にだけはとどめを刺しませんでした。

 

💡これは病院内での監禁劇を通していくうちに芽生えたわずかな情でしょうか。

また、速水自身も「恋人を過去に亡くしている」など川崎に通じる悲劇を持ち、それにシンパシーを感じてしまったのかもしれませんね。

 

また、田所病院は政財界とも繋がりがあり、国平元総理大臣(演者・小野武彦)はまさに臓器移植で命の危機を回避した人物の1人。

 

川崎にとっては恨みの人物であることは間違いありません。

 

そんな国平元総理大臣が開いた野外での演説会場で、川崎は人ごみに紛れ、国平に銃口を向けますが、ここで速報が入ります。

 

田所病院の責任者である速水が記者会見に応じ、街中のテレビのスクリーン画面から院長やその他看護師による病院の隠蔽体質を強く糾弾しました。

 

そしてその直後…

速水は川崎の動きを読んでいたかのように

もう恨みや憎しみで動くのはやめてほしい。

と川崎にスクリーン越しから涙ながらに訴えました。

 

その言葉を聞いた川崎は思いとどまり、その場を無言で立ち去りました。

 

半年後…

田所病院では院長として働く速水の姿があり、世界のどこかにいる川崎の幸せを願って今日も笑顔で患者と接していました。

 

終了。

 

 

ーーなかなか奥行きのある

ミステリー映画

 

少し端折ったり、細かい部分はカットしているので話の前後がわかりにくいかもしれません。

しかし永野芽郁さん演じる川崎が真の黒幕ということには驚きました。

4人がピエロに監禁されるまでは誰も川崎がピエロの共謀者だとは気づかないでしょう。

ただ川崎が途中で言っていた

(大事な恋人を亡くした)速水さんの気持ちが痛いほどわかります。

というのは演技ではなく素の台詞でしょう。

 

だから川崎は速水にだけ銃を撃たなかった。

わずかな速水への情が残っていたから。。

なかなかに奥の深い描写ですね。

 

まあ、それもこれも結局病院側の腐敗体質が招いた騒動だったんですけどね。

 

なので最終的な黒幕は「院長」1人!

こういう結論にしておきましょう(笑)

 

ここまで3000文字強…。

さすがにぶっ通しで疲れたので今日はここら辺で切り上げたいと思います。。

ほとんど物語一辺倒の記事になってしまったのは申し訳ないです。

表現力

 

ーー表現力とは何か

 

表現力とは、「相手にわかりやすい言葉で、かつ簡潔に伝えられる表現能力」のこと。

その時の状況やシチュエーションなどを想像しやすい言葉で伝え、相手の頭にスッと入ってくるような感覚を与えること。

 

よく勘違いされがちなのが「表現力=知ってる言葉の多さ」という解釈です。

いくら言葉を頭の中に詰め込んでもそれを適切なシーンや場面で使えなければ宝の持ち腐れです。

いかに適切なシーンで言葉を引き出せるか、要は「状況やシチュエーションに応じた言葉の選択ができるかどうか」が重要なのです。

 

言葉とはいわば無限大のストックです。

ストックとは持ち物のこと。

持ち物(言葉)は紛失したりせず、自分の頭の脳に強くインプットされています。

 

1度覚えた言葉や表現はそう簡単に忘れることはありません。

忘れたかな…?と思っていても実は脳のどこかにその情報は残っているのです。

パッとしたときに急に思い出せる言葉やインスピレーション源などがそれにあたり、実は自分が知っている言葉は想像以上に多いのです。

 

文章を書き始め、言葉が思い浮かばないと嫌になる

真っ白な画面のモニターと睨めっこしているだけになっちゃう

 

文章とはいわばインスピレーションの源泉。

書くネタやテーマなどはあらかじめ定める必要がありますが、そこまで無理に考える必要はありません。

最初のうちは適当なことを書きなぐるだけでもOK。

 

文章は書いているうちに次第に伝えたいこと(=骨格)が見えてくるので、パッと思いついたことや考えていることなどをひたすら書いてみましょう。

 

ーー表現力(=語彙力)は

気持ち(マインド)も関わっている!

 

表現力には「マインド(気持ち)」の問題も関わっています。

マインドというのはいわば「自律神経」です。

自律神経はその人の精神をコントロールし、オンオフのバランスをうまく保っています。

 

しかし何らかの理由で自律神経が乱れ、自分が書こうとしている文章より緊張や不安、ストレスといった感情に意識が向いてしまうと文章が思うように書けず、そのまま一生手が止まってしまいます。

 

特に頻脈(平時でも80〜100ほどある)の人は要注意です。

自律神経が乱れるのは体が緊張してしまうこととほぼ同じ。

 

緊張していると、いわゆる「頭の中が真っ白」な状態になります。

何か考えようとしても頭の中は常に真っ白で、思考のモヤがなかなか取れない。

一生真っ白なモヤの中を堂々巡りしてしまう。

これでは表現力もへったくれもありません。

 

・・かくいう自分も実は精神のバランスが不安定で、自律神経が乱れやすい体質です。

精神を安定に保てるかどうか、これも表現力向上に欠かせない要素でしょう。

 

ーー「内なる言葉」と

「外に向かう言葉」

 

思考のモヤというのはそもそも表現力以前に「表現したいことがわからない」状態です。

先ほどの話とは別に「なんとなく」で伝えようとしている底の浅い思考なのです。

 

文章を書くとき、「こういうことを伝えたい」という文章の全体像はなんとなく掴めているのになぜかうまく表現できない場合、それは単なる「知識不足」です。

 

でも伝えたいことがそもそも不明瞭な場合、それは「思考のモヤ」という前提に陥っている状態。

 

内なる言葉”は自分が普段発している言葉や何気ない会話で繰り返すトークなど、無意識的にポンと出るような言葉のこと。

対して”外に向かう言葉”というのはその内なる言葉を「相手にわかりやすく伝えるため」にブラッシュアップさせたもの。

つまり「内なる言葉」から表現の精度や質を高めたものが「外に向かう言葉」なのです。

 

外に向かう言葉はある程度思考を巡らす必要があり、もし「内なる言葉」だけで文章を構成させると「すごかった」「美味しかった」「楽しかった」といったように何のひねりのない感嘆表現のみの薄っぺらいものになってしまいます。

そこで「(どのように)すごかったのか」「(どのように)美味しかったのか」「(どのように)楽しかったのか」等、相手がすんなりその状況やシチュエーションを想像できるような表現をつけ加えること。

これが”内なる言葉”から”外に向かう言葉”への飛躍、ステップアップです。

 

表現力を磨くにおいて「外に向かう(=外へ発する)言葉」は必要不可欠ですが、その前提に「内なる言葉」があることを忘れてはいけません。

 

YouTubeTwitterなどの雑談ツール系のSNSは「すごい」「感動した」など内なる言葉だけで文章を完結できてしまうため、表現力を身につけるツールとしては適していません。

 

もし表現力を磨きたいならamebloやWordPress等、アフィリエイト系のツールを個人的にはお勧めしたいです。

 

今日も寒いですね。。

手が冷えてきたので今日はここら辺で切り上げたいと思います。

最後までお読みくださりありがとうございました。

ドラえもん(1話 勉強べやの釣り堀)

ーー記念すべきリニュアルドラえもん

第1話エピソード!

 

2005年に旧ドラえもんの声優陣がリニューアルし、ドラえもんに新たな風が吹き込まれました。

声優や世界観、作画等、ほぼ一新され、旧ドラえもんファンからは悲喜こもごもの声が…。

これはこれでいい!」と割り切る方もいれば、「こんなのドラえもんじゃない…。」と嘆くような声まで見られました。

 

アニメ版は2005年のリニューアルとともにテレ朝系列で放送され、今なお続いている長寿アニメことドラえもん

 

その記念すべき第1話が「勉強べやの釣り堀」というエピソードでした。

 

ドラえもんが未来からやってきた設定やエピソードはそのまま踏襲されており、デザインも一貫して「丸い球体・ずんぐりむっくりの2頭身」と変わっていません。

ただ教育係として振る舞う旧ドラえもんのような厳格さは2005年のリニューアルとともに失われているようにも思えます。

 

ではここからは第1話のエピソードをまとめていきたいと思います。

 

ーー第1話 あらすじ

 

のび太たちが通う月見台小学校(架空の学校)の裏にそびえる山は「裏山(うらやま)」と呼ばれ、小動物が多数生息していたり、小さな川が流れていたりと自然豊かな場所です。

 

山頂には「一本杉(千年杉とも)」と呼ばれる樹齢1000年を迎える高い木が立っており、そこからの景色は圧巻。

 

そんな川ではぴちゃぴちゃと泳いでいる魚が多く、釣りやキャンプの地としても利用されています。

 

ある日、ジャイアンスネ夫は大量の魚を釣り、のび太は釣りに興味を示したのかママに釣りを許可してもらおうとしますが、ママにキッパリと断られます。

 

のび太のドジな性格が災いして川にドボン!するのが怖かったからです。

 

ドラえもんはそんなのび太に家で釣りができる

おざしきつりぼり」を出してあげました。

 

💡 ダイヤルを東西南北の方角にピッタリと合わせ、自分の位置情報を割り出すという精密な機械道具。

しかし床が水浸しになるというリスクはまるで考慮されていない。

 

早速釣りを始めるのび太ドラえもんですが、なかなか餌に魚が食いついてくれません。

 

そこでドラえもんは魚を見つけたら自動で捕まえてくれる

手ばり」という便利な道具を出してあげました。

 

しかし途中、ジャイアンが水面から顔を出してきたので2人は慌てて釣り堀シートを畳み、今度は本物の海にターゲットを絞ります。

 

さらにドラえもんは、

全身に塗布するだけでどんな水圧にも耐えることができる

深海クリーム」と

鼻の穴に入れておけば水中でも呼吸ができる

エラ・チューブ

の2つを出し、深海に潜って釣りを開始しました。

💡どっちも効果が切れたときが怖い…。

 

2人は手ばりで魚を次々と釣りましたが、その途中巨大ザメに襲われ、パニック状態に。

 

なんとか逃げた先には1隻の沈没船があり、財宝の匂いがした2人は目の前の宝箱を開けますが、もちろんこれはダミー。

 

宝箱の中身は巨大なタコで、2人はまたもや逃避行の末、部屋に到着。

 

最後に釣り堀からお湯が沸いていたので2人は温泉と勘違いし、そのままドボン。

 

しかし行き着いた先は静香ちゃんのお風呂場…。

激怒した静香ちゃんに桶を投げつけられるという情けないオチで第1話は終了しました。

 

ーー最後にオチが用意されている

それがドラえもん

 

ドラえもんのアニメのほとんどは最後にオチが用意されており、清々しいハッピーエンドかと思いきやまさかの…?!という展開が多いです。

 

今回も期待を裏切らないオチの完成度の高さ。

 

静香ちゃんの記念すべき2005年版アニメにおいての初登場シーンがよもやこんな形になろうとは…。

 

やはり製作陣の遊び心が随所に現れている!

あと所々に不二雄節が散りばめられている!

 

原作ファンにも配慮したアニメ作りになっているのがまた良い!

誹謗中傷



ーー誹謗中傷が減らない理由と

その傾向について

 

誹謗中傷という言葉は昔と比べ、さらに耳にする機会が増えたように感じます。

それは間違いなく「SNSプラットフォームの成長」という社会的背景が深く関係しているでしょう。

YouTubeやX(旧Twitter)、InstagramFacebookなどあらゆるユーザーとコミュニケーションが取れるツールが発達したからこそ、それに伴う言葉の槍や暴力が目立つようになりました。

 

誹謗中傷という言葉は安易に受け取られがちですが、これが理由で自殺してしまう人や精神を病んでしまう人は多く、今や国際的な問題となっています。

 

つい先日でも某池袋事件で妻子を亡くした被害者に対し、脅迫まがいの電話を何度もかけたことで逮捕された事件もありました。

 

誹謗中傷はこのように身近でも起こりうる犯罪行為です。

ネットを主戦場とする犯罪は取締りが難しく、多くの場合黙認されているのが現状です。

近年、誹謗中傷が厳罰化され、サイバー犯罪としてより重く処されるようになりましたが、それでもやはり今一つの抑制効果しか現れておらず、誹謗中傷や悪口などのコメントは後を絶ちません。

 

ここからは誹謗中傷が生まれる原因を1つ1つピックアップしていきたいと思います。

 

ーー① 匿名性が強いから

 

ネットは多くの書き込みやコメントがあり、匿名性が強いツールです。

 

例えば年間の利用者数トップを誇るYouTubeでは、そのコメントの多さゆえに「誰がこのコメントを書いたか」「誰が誹謗中傷を繰り返しているか」といった特定やユーザーの割り出しが困難です。

ゆえに、責任の有無を問われにくく、その強い匿名性を隠れ蓑に誹謗中傷を繰り返す…といったユーザーが多いです。

 

もちろん、誹謗中傷コメントでも自分の返信欄で注意されたり、最悪の場合垢BANというペナルティも用意はされていますが、それが「誹謗中傷をしてはいけない」と相手に自覚させることにはつながりません。

 

口頭注意や軽いペナルティだけでは相手の自覚症状を引き出すことは困難なのです。

 

ーー② 取締りが緩いから

 

昔と比べて誹謗中傷コメントが厳罰化され、逮捕者も多くなってはいますが、それでも刑罰は軽いです。

大体の場合は「少額の科料」「短めの有期刑」と2択にとどまり、誹謗中傷を国側が重く受け止めていないことが見て取れます。

 

誹謗中傷コメントが減らない理由は、その刑の軽さにもあると言えましょう。

 

ーー③ 誹謗中傷を訴えるリスクが大きいから

 

これは逆説的になるのですが、被害者が誹謗中傷を繰り返すユーザーを特定し、訴訟を起こしたとしても、それに伴う弁護士費用や裁判手続きなどその間にかかる「お金と時間」が膨大です。

 

また、仮に裁判で勝ち取れなかったら自分が泣き寝入りしてしまうケースもあります。

加害者からの報復もあり、被害者が訴えを起こすリスクを十分認知しているからこそ何十件もの誹謗中傷が立て込んでしまうのでしょう。

 

誹謗中傷は数が多すぎて対応しきれず、1人1人を訴えていたらそれこそ火の車。

馬鹿らしいと考えて、誹謗中傷は極力無視する。

そういう結論に行き着いてしまうのでしょう。

 

つまり被害者と加害者とで、失うものが多いかどうかの違いですね。

 

ーー④ ストレス社会だから

 

これはマクロ的な俯瞰論になるのですが、そもそもSNSに誹謗中傷を書き込むユーザーは現実社会で満たされないことが多く重なり、そのストレスのはけ口にSNSを利用しているケースが多いです。

 

誹謗中傷を好きこのんで書き込む人は滅多にいません。

それはただの「精神異常者」です。

 

この有り余る誹謗中傷コメントは、その背景に潜むストレス社会が生み出した弊害の1つではないかと。

 

SNSツールの発達は人々の精神的な満足度を高めた反面、それを悪用するユーザーも増やしてしまった。

 

ストレス社会ではTwitterYouTube等でリア充アピールをしている投稿者や目立った芸能人インフルエンサー等が誹謗中傷の肥やしにされやすいです。

 

ユーザーが多いほど特定も難しく、匿名性をいいように利用しては誹謗中傷を繰り返す。

それが次第に常習性を帯びていき、誹謗中傷がますます加速する。

 

被害者が何らかの動きや措置を見せないと匿名性に味を占めたユーザーがこぞって誹謗中傷を極めてしまいます。

 

ストレス社会という根本的な問題も捨てきれない事案ですね。

 

ーー誹謗中傷対策に乗り出し

撲滅に全力を!

 

サイバー犯罪はユーザーの多さに埋もれて誹謗中傷コメントを特定するのが難しく、被害者が届を提出しても「誹謗中傷コメントの取り締まりや罰則」は依然として警察の管轄外に置かれており、受理されるのはほんの一握りです。

未処理の案件が増えると警察署や裁判所の成績が落ちるため、なるべく無駄な被害届は積ませたくない、という「警察の職務怠慢」も誹謗中傷コメントの増加に拍車をかけていると言えましょう。

 

しかしサイバー犯罪は人の心をかき乱す「物理的な暴力」とほぼ同じです。

相手を傷つける、という本質的な意味で言えば暴力沙汰と何も変わりません。

加害者に誹謗中傷はしてはいけないという認識を強く持たせ、それが抑止力につながれば徐々に誹謗中傷コメントは減っていくでしょう。

 

誹謗中傷のない世界に、そして誰もが豊かに過ごせるように、私は切に願っています。

不動産投資

ーー不動産投資

リスクの高い選択肢

 

日本人は

1つのところに落ち着きたい」「転移転居を繰り返したくない」「地元で一生住みたい

などと保守的な傾向が強いです。

 

例えば不動産を購入する日本人が多いのがその証拠です。

 

実は私の祖母もいくつか物件を所有しており、そのオーナーとして管理・運営しています。

しかし長年不動産を持ち続けると同時に、建物の老朽化や住居人によるトラブルなども目につき始めるようになります。

 

不動産を売却する=その時の購入額を上回る必要がある、というのが大元の考えです。

そのために長年不動産を持ち続け、住居人から家賃などを搾取する必要があるのですからね。

 

しかしそういう人は見積書や貸借対照表等を作成する際、住居人が壁を破る、配管を詰まらせる、といったときに生じる「修繕費」や、ブロード回線や5Gなどの光回線を広げるときに必要となる「ネットワーク通信費」など、それらの経費やランニングコスト等は一切考慮していません。

 

これは数字に弱い人が陥りがちな傾向です。

 

まず原価(購入時の価格)で建物を所有し、果たしてその分を取り戻すことができるのか?という、一種の投機的要素を含んでいるんです。

 

建物は年数を重ねるごとに老朽化する…という当たり前の事実にも気付かず、不動産を購入時の価格(より上)で売却できる…という楽観的な見方が大半を占めています。

 

しかしその迂闊さが大量の不良債権となって大赤字に転じた例もあります。

 

例えばバブルが到来し、土地価格が高騰した時代。

多くの投資ファンドは不動産に投資し、土地をまるまる購入しています。

バブルがいつまでも続くであろう…という安易な考え方が悲劇を招いてしまったんですね。

 

日本で起きたバブルというのはあくまで最大瞬間風速的な経済の泡。

突然降って湧いたバブルの恩恵に多くの人々は安堵し、調子こいて危険な不動産にまで手を染めてしまう人もいた。

 

1986年、泡が弾け、景気が傾いた頃、不動産の価値は一気に下がり、さながら不良債権と化してしまいました。

借金だけ膨れ上がり、当時の人々はどれだけ泣きを見たことでしょうか。

 

そのようなわかりやすい悪しき前例があるにも関わらず、今でも不動産に手を染めてしまう人が後を絶たない。

 

不動産は固定資産なので、価値の変動が起こりにくい(=いわば流動性が低い)性質を有しています。

それは実体経済と深く結びついているため、今後不動産の投資が過熱する確率はほぼ0と言っても良いでしょう。

 

ーー実体経済が落ち込んでも

デジタル経済は上がり続ける!

 

今、1番将来性があるのはデジタル経済です。

これは新興経済の1つで、デジタル上でモノやコトの取引ができる経済はいわば流動性が高い特徴を有しています。

 

その象徴的な例を示すものが仮想通貨、いわばビットコインです。

 

ここで突然質問なのですが、みなさん、投資先は1つに絞っていますか?

それとも分散して複数に投資をしていますか?

 

これは投資における重要事項の1つです。

 

ちなみに前者に該当する方はかなり危険な投資に手を染めている人です。

投資先を1つに絞る=回収できなくなったら終わり、という事実に果たして気づいているでしょうか?

 

例えば1つの企業を投資先に定め、株の取引をしたとしましょう。

その企業がもし不祥事やスキャンダルなどが発覚し、倒産を余儀なくされたらあなたの株は全て紙切れになります。

 

そして回収できなかった分の借金や負債を全てを背負わされます。

 

1つの会社や企業に投資を集中させる…というのはものすごくリスキーな選択肢なんですね。

 

そのリスク回避として「1つではなく複数に投資先を分散させる」という手法があり、経済的な損失や資産価値の目減り等を最小限に抑える狙いがあります。

 

つまり1つのところに莫大な投資をする…のではなく、複数の投資先にお金を細かに分散させる…といった手法が賢いリスク回避法です。

 

1番ダメなのがFXですね。

あれは為替レートの値動きを先読みし、投資を打つという、いわばギャンブルに近いモノです。

もはや論外の域、そんなリスクを選択する必要はないでしょう。

 

デジタル経済は今、ものすごいペースで成長を続け、多くの投資家がそれに乗っかろうとしています。

 

不動産への投資は今やほぼ形骸化しているに等しい。

でも不動産投資のリスクを知らない人が不動産を買い続けてしまう。

 

私の祖母はこのトリックにまんまと陥っているのです。

 

不動産は年数を重ねると価値は下がっていきますが、株や証券などのデジタルは価値が下がりません。

もちろん、リーマンショックオイルショック等、世界的な不況があれば株価が下がり、投資の回収は困難になるでしょう。

 

しかしそれは稀のケースです。

その稀のケースが起こる確率を見越して不動産投資のほうに目移りしてしまうなら、それは論外です。

 

不動産への投資はそもそも斜陽産業なんです。

実体経済が上昇しない限り、不動産の投資が功を奏すことはまずないんです。

 

実体経済は今や赤字ペースで足元が揺らついている。

不動産の投資に手を染める=経済が回復する見込みがある、といっているのとほぼ同義。

そんな絵空事や空想にふけるくらいなら、普通の仕事でコツコツ稼いだほうがよっぽど生産的です。

少なくとも今不動産を持つのは現実的ではない。

 

もちろん、人それぞれの考え方があるので頭ごなしに否定はしませんが。

クレイジーモンキー 笑拳

 

ーークレイジーモンキー

はっちゃけたジャッキーが見れる貴重な作品!

 

香港のアクション大スターであるジャッキーが主演を務める1979年制作の「クレイジーモンキー 笑拳」はジャッキーの作品にしては珍しくコメディ色を押し出したモノです。

賭け事をやって師匠のチェンに修行を課されては尻込みしてしまうジャッキーの姿や、最後エンと戦うときのはっちゃけた表情・動作など、基本的に笑いの要素が多い作品です。

 

しかし笑いだけではなく、師匠であるチェンが仇敵・エンに殺されたり、師匠の死に目にあって泣き崩れるジャッキーなど、シリアス系のシーンもちらほら。

1979年の作品だけあってジャッキーの異様な若さぶりと動きのしなやかさ、身の軽さなど、今年の3月・微博(ウェイボー)に投稿されたジャッキーの近影を見るとまるで別人のようです。

 

今年で70歳なのでそりゃ外見も衰えるでしょうが、往時のジャッキーを知れば知るほど昔と今の容姿のギャップに驚きを隠せないですね。

 

国民的アクション俳優として一躍名を馳せ、危険なスタント仕事や体当たりアクションも数々こなしてきたジャッキー。

その全盛期の萌芽とも言える作品の1つが「クレイジーモンキー 笑拳」です。

ファンであればぜひ1度は見ておきましょう。

 

ーークレイジーモンキー 笑拳

あらすじ

 

時は清朝末期の広東。

古い家屋でロン(演者・ジャッキーチェン)と、師匠であるチェン(演者・ジェームスティエン)は同居していました。

 

政府は国の方策に従わない者に「反逆者」の汚名を着せ、殺し屋のエン(演者・ヤムサイクン)を派遣し、その1人であるチェンは身分を伏せて山の奥でロンとともに隠居していました。

 

チェンはことあるごとに「身分だけは明かすな。」とロンに注意を吹き込みますが、ロンが理由を問うてもチェンは答えてくれませんでした。

 

チェンは”行意門”と呼ばれる門派の創始者であり、落ちぶれた行意門の再興を果たすために弟子であるロンを厳しく修行させていました。

ロンは修行に乗り気でなく、最低限の武術の心得はあったものの、厳しい修行から逃げ出す日々を送っていました。

 

ロンは修行を終えると下町に出かけ、博打で儲けるチンピラ3人のゲームに参加。

博打の才を活かしてロンはがっぽり儲け、イカサマを疑ったチンピラ3人組はロンの後をつけることにします。

 

そしてロンの帰り道、チンピラ3人組が道を塞ぎ、ロンに喧嘩をふっかけますが、ロンは3人をコテンパンにして「2度と来るなよ。」と軽く灸を据えました。

 

チェンはロンが持ち帰ってきた高級ワインを飲み、ロンが人前で武術を見せたことに厳しく折檻。

ロンにとって再び厳しい修行が始まるのでした。

 

その翌日、ロンは下町に行き、以前コテンパンにしたチンピラ3人組にばったりと出会います。

そして3人は戦いの意思を見せることなく、自分たちの師範がいる道場にロンを案内します。

 

そこで持ちかけられた交渉はなんと「道場破りを行う者たちを武術で倒し、その報酬代を肩代わりすることで”行意門”を成長させる。」というものでした。

 

ロンはチェンに武術禁止の命を受けていたため、それを1度は断ります。

しかし師範は食い下がり、身分や氏名は伏せて道場を盛り上げていく…という形で交渉は成立。

 

ロンは道場破りを行ってくる武術家たちを次々といなし、病に伏せがちなチェンの治療費の工面のため、その報酬代を少しずつ貯めていきました。

 

しかしある日、チェンはジャッキーが家の庭に埋めた貯金壺を発見し、武術を公にしていることを知って肩を落としてしまいます。

 

ロンは道場破りをコテンパンにして報酬を稼ぐ日々を送っていましたが、ある日チェンに変装が見破られ、戦いを放り出して逃げてしまいます。

チンピラ3人組と師範はチェンの正体が「行意門の開祖」だということに驚き、言葉を失います。

 

一方、政府から派遣された殺し屋のエンの魔の手が行意門にまで迫ってきており、とうとうチェンの居場所を突き止めてしまいます。

その様子を八脚麒麟(演者・チェンウェイロー)が見ており、チェンの危険を感じました。

 

ロンは道端で師匠に対する反省文を考えていたものの、途中道を尋ねられたエンにチェンのいる方角を差してしまい、その後正気に戻ってすぐにエンを追いかけます。

 

しかし時すでに遅し。

チェンはエンと戦いを挑むも歳による肉体の衰えもあってか次第に劣勢になり、最後は首を拘束され帰らぬ人となってしまいます。

 

エンがその場を立ち去るとロンはチェンの死に目に悲嘆し、その様子を見ていた八脚麒麟(通称・8本足の麒麟)から敵討のためしごきを受けることに。

 

💡 この作品では唯一のシリアスシーン!

ロンとチェンの師弟愛の深さが見て取れるほど、ロンの凄まじい悲嘆ぶり。

 

 

チェンを失い、憔悴気味のロン。

初めは八脚麒麟に反抗的でしたが交流を重ねるうちに仲良くなり、厳しい修行にも果敢に挑戦していきました。

 

途中、ロンは下町で偶然出会ったエンに恨みを爆発させて戦いを挑みますが、手も足も出ずに敗北してしまいます。

しかしエンはロンを亡きチェンの知己とは気づいていなかったため、致命傷には至らせませんでした。

 

その後ロンは八脚麒麟に4つの感情に基づく武術の心得を教えてもらい、戦いには単縦な力量だけでなく精神力も重要だということを知りました。

 

ある日、下町から帰ってきたロンでしたが、八脚麒麟の姿がありません。

 

すると外でエンの部下3人が八脚麒麟を追い詰めており、チェンの仲間とみなして殺そうとしていました。

しかしロンが3人を止め、八脚麒麟を間一髪で助けます。

 

そして3人は長尺の槍を携えてロンに切り付けようとしますが、ロンはアクロバットな動きで3人を翻弄し、ほとんど無傷のまま3人を撃退しました。

 

💡 このシーンはかなり見どころ満載です。

ジャッキーが槍の先端スレスレの3人の攻撃を避けまくるという、かなりシュールなシーンです。

なんで当たらないの!?って当時は思っていました。

 

そしてエンがロンの前に姿を表し、ついに因縁の戦いが幕を開けました。

 

しかしロンは怒りに任せたまま戦ってしまい、初めはエンに完膚なきまでにやられてしまいます。

 

その後ロンは冷静を取り戻し、八脚麒麟に教えてもらった4つの感情に基づく武術を心得ます。

これは「」「」「」「」からなる武術の型であり、相手の心を翻弄するために用いる戦法です。

 

最初はエンが優勢でしたが、「」に転じてからは勢いに陰りが見え始め、ロンが「」に入ったときはエンが一方的な劣勢試合に。

エンは徐々に追い詰められ、ついに逆立ちの状態でロンに股間をひじで打たれ、死亡。

 

チェンの仇を取った瞬間でした。

 

ーー師匠の全盛期!?

全盛期ならエンにも勝てた?

 

この映画自体、そこまで知名度はないので深く踏み込んだ考察やレビューはないのですが、ロンの師匠であるチェンは作中すでに老化が進行しており、さらに病を患っていました。

ONE PIECEでいう頂上戦争時の白ひげみたいですね。

 

そしてチェンを反逆者扱いし、政府の犬として殺しを続けてきたエンとの1体1の対峙。

見た目はエンも結構歳いってそうな貫禄のある風貌ですが、決闘中チェンに対し「英雄も腕が落ちたな。」と言っており、当時のチェンの強さをほのめかしています。

行意門の開祖だけあって、全盛期の強さは凄まじかったのでしょう。

 

おそらく全盛期であればエンにも勝てたんじゃないか?というのが私の見解です。

 

いや、あくまで憶測なんですが、短期間の修行でロンに打ち負かされたエンと、全盛期のチェンの強さを比較したらなんとなくチェンに軍配が上がりそうな気がするんですよね〜。

 

本当にあくまで憶測なんですが。

不適切にもほどがある!(1話 頑張れって言っちゃダメですか?)

 

ーー不適切にもほどがある!

第1話のあらすじ

 

主演の阿部サダヲ氏演じる小川市郎は昭和の口うるさい体育顧問。

その市郎の娘・純子(演者・河合優実)はそんな説教親父に振り回される毎日に嫌気がさしていました。

今日何時に出て何時に帰ってくるか、純子は父親のいない時に禁断のチョメチョメ(sexの遠回しな表現)を働き、男探しに余念がない奔放娘。

 

父親の市郎は地元の学校に勤める、昭和の熱血顧問。

生徒へのケツバットから水飲み禁止ルールなど現代でいうコンプラ破りの行為を公然と行っていました。

しかし娘の純子にはなぜか甘く、当時一世を風靡した衣装のセーラーズを娘に買ってあげるなど父親思いな一面も。

(しかしババつかまされた父親に純子はげんなりする)

 

💡 というか、衣装のセーラーズは渋谷にしか売ってないんですね!

当時の人たちはセーラーズ欲しさに渋谷のアパレルショップに押しかけ、人波が将棋倒しになりかけるケースもあったとか。

今ならネットショップで簡単に手に入るのに…(小声)

 

市郎は学校(仕事)帰りに路線バスの定期便を確認し、そのバスに乗り込むとしばらくの間眠りについてしまいました。

そしてこの後驚きの展開が…。

 

 

タイムスリ〜〜〜〜ップ!!

 

昭和1986年から一気に令和6年現在まで時間軸世界観ともに移動してしまい、市郎がバスの中で目覚めるとやたら丈の短いスカートを履いたJKが乗り込んできました。

さらにJKはイヤホンを取り出し耳につけると、市郎はそんなJKに「うどんついてますよ。」と的外れな指摘をしてしまい…。

JKは少し不思議がっていました。

 

市郎は銘柄ハイライトのタバコを取り出し、バス車内でタバコの煙を吹かしてしまう始末。

結果、バスの車内は副流煙で満たされ、乗り込んできた人たちは次第にクレーマーとして暴走することに。

 

市郎はバスを降り、自分の家に帰ろうとしますが、そこに広がるのは見慣れない光景でした。

いつもと違う異様な光景に驚きつつも、ハイライトを購入するため近くのコンビニに立ち寄る市郎。

 

しかしタバコ購入の際に年齢確認を求められ、さらに当時170円で売られていたハイライトが500円に吊り上げられていて不満タラタラの市郎。

 

その後近くのバーに行き、カウンター席に座っていた女性のビールを一杯せしめてしまいました。

その女性の名前は犬島渚(演者・仲里依紗)。

ワンオペ育児に悩むバリキャリウーマンの1人でした。

 

一杯のビールを市郎に飲み干され、渚は店内に響き渡るくらいの怒号を発しました。

ワンオペ労働の果てに一息…

そんなお供のビールを市郎が飲んでしまい、育児と仕事の両立の辛さを訴える渚。

 

市郎は「そんな怒ることないだろ〜。」とぶっちゃけていましたが、途中市郎は尿意を催したため、バーのトイレに駆け込みます。

 

するとトイレには「小泉今日子40周年」というタイトル名のポスターが貼られていました。

市郎は「40周年!? キョンキョンが?(笑)」と不思議がりますが、そのポスターの裏には過去の世界に通じる暗闇のタイムホールがありました。

 

市郎がタイムホールを覗くと過去の世界へと逆戻り。

行き着いた先は変わらずバーのトイレでしたが、バーのカウンター席には渚の姿がありませんでした。

市郎は今までの一連の珍百景を「」と解釈し、そのまま自宅に帰ることにしました。

 

そこで市郎を待ち受けていたのは、チョメチョメという名のセクロスに溺れる娘・純子のはしたない姿…。

その純子の相手は向坂キヨシ(演者・坂元愛登)という男でした。

純子とキヨシは路上で偶然知り合い、そのまま恋に落ちたのでした。

 

当然、市郎はキヨシを口汚い言葉で罵倒し、自宅から追い出しました。

 

 

そして翌日…。

 

市郎は自身が担当するクラスで臨時転校生が入るという情報を聞き、後ろの生徒席についていました。

その転校生の正体はズバリ!

昨日、純子と性行為をしていたキヨシだったのです。

 

市郎は副主任たる権限を行使し、キヨシを無理やり自身が顧問を担当する野球部に所属させ、昨日のお礼参りとして体罰も辞さない行為を行いました。

 

キヨシは及び腰になりつつも、純子と関係を続けたい理由から退学を拒否します。

 

翌日、キヨシの母親であるサカエ(演者・吉田羊)は市郎らパワハラセクハラ教師に抗議し、昭和の腐った教育体制にメスを入れました。

 

怒りを通り越して逆に興味深い!!

 

社会学者でもあるサカエは皮肉を交えてそう言いつつ、キヨシを連れて別の学校に転入させる決意を固めました。

 

市郎はもう1度未来に行くことができないか…という願望を膨らませ、未来へとつながる路線バスの時刻表を確認。

その途中、キヨシとサカエがある手違いでバスに乗りそびれてしまい、市郎1人だけがそのまま発進。

 

スマホをバス車内に落としてしまったサカエは必死にバスを追いますが、市郎が確認したバスの運転手はなんと人形だったのです!

 

💡 ここのシーンは個人的に少し恐怖を感じました。

無人でバスが運転されているのかと思うとゾッとしますよね。

 

 

また、キヨシは「地上波でおっぱいを見たいだけなの!」という衝撃の理由から令和より昭和の風潮を好んでいました。

それを理解してくれない母親のサカエに「クソババア!」と心にもない暴言を浴びせてしまいますが、その後冷静になって詫びをしつつ、純子の家にスタスタと歩いて行きました。

 

 

一方の市郎は、未来の居酒屋で上司にパワハラ被害を訴えられている秋津睦実(演者・礒村勇斗)に同情し、さらにパワハラを正当化する発言ばかり繰り返して周りを呆れさせていました。

ミスしたらケツバット、上手くやったら胴上げよ。

 

昭和のジジイさながらの発言を連呼し、秋津はすっかり惚れてしまいます。

 

💡 間違いなく現代ドラマにはなかった展開ですね。

昭和と令和のコンプラの違いが見て取れるシーンです。

 

その後市郎は喫茶店に戻り、そこには以前出会った渚がいました。

 

渚は過去の市郎の無礼を許しており、今は前職を去ってスナック営業傍ら育児に専念していると打ち明けます。

その後秋津もやってきて3人楽しく語らうことができたのでした。

 

しかしその語らいも束の間、市郎が過去に戻ろうとトイレに行ったところ、内装がリフォームされていてタイムホールも無くなっていました。

 

さらにその直後、キヨシの母親・サカエから市郎のもとに着信が入り、途切れ途切れの声で何かを訴えていました。

Wi-Fiが届きにくい場所だったため、市郎と秋津・渚の3人はよく聞き取れませんでした。

 

そして次回に続く!

 

ーーコンプラもクソもない

昭和親父の破天荒ぶりを描いたヒューマンドラマ!

 

このドラマは現在進行形で今まさに放送中の作品です。

脚本を手掛けたのは有名なクドカンこと宮藤官九郎さん。

 

昭和のコンプラ破りの親父が令和に通ずる常識や既成概念、ルールに物申すという、思い切った作品です。

これは今までにないコンセプトのドラマで、令和の価値観に縛られているZ世代には特に響く作品でしょう。

 

コンプライアンス(=コンプラ)は現代語訳すると「法令遵守」という意味合いになり、その人が守るべきルールや価値観のことをいいます。

しかしコンプラの存在は「ああしたいけどコンプラに触れちゃうかも…」という、ある種の煩わしさを伴うモノ。

 

昭和ではよほど一線を超えない限り、法の許す限り、自分のしたいことが思うままでした。

しかしながら、現代では明らかに締め付けが厳しい。

犯罪ではないのに「これもダメなの!?」というモノがあまりにも多い。

そんな”コンプラ”という殻を打ちやぶり、現代社会の息苦しさに物申していく昭和ジジイ。

そんなジジイの姿勢や意見に共鳴された若者が主な視聴者層ではないか、と。

 

かくいう私もコンプラ無視の態度や意見をポンとかましてくれる阿部サダヲさんの市郎にどっぷりとハマってますけどね(笑)。